川越・坂戸・東松山 / 埼玉のペットホテル

川越・坂戸・東松山周辺のペットホテルをご紹介します。

ドックスクール ゆっか

2012/04/30 10:00
住所埼玉県東松山市 東平1380-2
営業時間6:00~22:00
定休日年中無休
一泊料金3,500円~
預かりペット小型犬,中型犬,大型犬
サービス冷暖房エサホテル送迎有り24時間常駐スタッフ

※ お電話の際には「検索サイトみた!」と
お伝えいただければスムーズにお話ができます。

Dog Hotel モモちゃ箱

住所埼玉県川越市岸町 2-19-7
営業時間10:00~18:00
定休日不定休
一泊料金10,000円~
預かりペット小型犬,中型犬,大型犬
サービス個室冷暖房ホテル送迎有り24時間常駐スタッフ

※ お電話の際には「検索サイトみた!」と
お伝えいただければスムーズにお話ができます。

「北条氏の栄光と滅亡」

戦国時代の関東で覇を唱えたのは、北条家でした。最も有名なのは、初代・北条早雲と3代目の北条氏康ですが、磐石の地盤を整えたのは、2代目の北条氏綱でした。伊豆・相模は早雲の時代に抑えたのですが、氏綱は広大な武蔵国(東京都と埼玉県)を勢力下におきました。

この時に、氏綱と戦った相手が、関東管領である扇谷上杉家でした。名将・太田道灌が築いた江戸城や河越城を有していましたが、氏綱との戦いで落とされてしまいます。

1537年、風前の灯に陥った扇谷上杉家当主・上杉朝定は、今の東松山にある松山城に逃亡しました。この松山城には、扇谷上杉家の名将・難波田憲重がいました。憲重は、追いすがる北条勢を蹴散らし、撃退しました。撤退する北条軍を確認して、憲重も城に引き上げようとすると、北条軍の武将・山中主善が一騎打ちを挑みました。憲重は、主善の攻撃も退けて、城に戻ろうとしましたが、今度は主善がこう叫びました。

「あしからじ よかれとてこそ 戦わめ など難波田の 崩れ行くらん」

(如何致した。勝つつもりで戦っているのに、難波田殿はなぜ逃げ崩れようとしているのか)

この和歌に託して、一騎打ちを切り上げようとする憲重を挑発したのです。

これに対して、憲重も負けてはいませんでした。和歌には和歌を。こう返しました。

「君おきて あだし心を 我もてば すえの松山 波も超えなん」

(主君を差し置いて、貴殿と勝負するような心を抱いてしまうと、波も超えないとされる末の松山ですら、北条勢という大軍の波に飲み込まれてしまうだろう)

目先の功に捉われず、主君を守るために戦うのだという意思を示したのです。これには、主善はじめ北条勢は感心し、憲重を見送るしかなかったのです。これが、世にいう松山城風流合戦です。このような名将を相手に真っ向から戦うのは得策ではないと、北条勢は松山城から撤退しました。

 

1546年、3代目の北条氏康が、息を吹き返した扇谷上杉家や山内上杉氏などの連合軍を奇跡の逆転劇で破った河越夜戦で、この難波田憲重も討死してしまいます。この戦の結果、武蔵国の覇権を北条氏が完全に握りました。そして、北条氏は、各地に重臣を配置して、支配体制を固めていきます。

この内、坂戸を領したのが、大道寺政繁でした。武蔵支配の中心であった河越城代も勤める一方、街道整備のため、坂戸に領民を配置し、坂戸宿を築きます。この坂戸宿は江戸時代になると、五街道の1つである日光街道の脇街道として、人々の往来が盛んになり、発展していきました。

武蔵の整備に力を尽くした北条家ですが、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐によって、滅亡しました。この時、北条家臣の中には慣れ親しんだ土地を離れるのが惜しく、武士を辞めて帰農した武士も多くいました。鶴ヶ島一帯の旧家では、それら元武士の子孫と伝えられる人々が多く住んでいるということです。中には、北条家伝来の家宝を持つ家もあるのかも知れません。

北条氏の栄光と滅亡の記憶が、この地には残っているのです。
埼玉県川越市
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